ALC ビル 診断 仕入 ゆっくり過ぎて来た時を戻すフライト?緑色のオーロラ?:崩壊前のソ連、不思議で素朴な国14日間旅行記

ゆっくり過ぎて来た時を戻すフライト?緑色のオーロラ?

深夜の地平線の先に見えたのは、緑色のオーロラ?

レニングラードからハバロフスクまでは飛行機での移動です。新潟からハバロフスクまで飛んだのとは違い今度はソ連国内線ということです。ホテルからはタクシーで飛行場まで連れて行いてもらいました。


空港では大勢の人々が飛行機の発着を待っていました。搭乗券をもらい手荷物検査です。ズラーと並んでるロシア人の列ではなく、その隣りに並ばされ、我々4人だけ別な検査を先に受けました。



鞄の中をエックス線で投影し画面を見ながら「危ないものはないか?あれは何だ、これは何だ」と言ってるようでした。まあそれでも無事に通れました。そしてタラップの前に列を作ってるロシア人をしりめに、我々だけ先に搭乗させられました。
ちょっとしたビップ扱いという感じで気持ちよかったです。まあ実はしっかりと外国人は監視されているという事なのですが。


早々と乗り込んだ我々のあと、どやどやとロシア人が乗り込んできました。席に座って待ってると、ロシア人のおじさんがこっちに向かって何か言ってます。「そこは俺の席だ、おまえらなんで座ってるんだ」という感じな事を言ってるような気がするのだが…、


言葉がわからないのでポカンとしていたら、周りにいた人達が「インツーリスト〜」「〜インツーリスト」と言っている。…そうするとそのおじさんは不満なのだけれどしょうがないと言う顔をし、後から来て事情を説明しているスチュワーデスとともに何処へ行ってしまった。「うーんこれは何なんだろうか」我々は最初の予定では次の日の飛行機に乗るはずだった。だけど何かの手違いで次の日の飛行機はもともと存在しなくこの日になったのだ。だからホントはこの席はさっきのおじさんの席なのかもしれない。それをソ連国営旅行会社である”インツーリスト”が国家権力の名の下に強引に割り込んでしまったのかもしれない。


あのおじさんは結局どうしたのだろうか。何となく想像の世界でしか無く、ホントの所はわからないのだがちょっと心配でありまた申し訳ないような気持ちであった。



そうこうしているうちに離陸の時間になった。どうも周りを見ていると、日本の国内線と違ってみんな気楽にバスでも乗るような雰囲気なのだ。なにかみんな乗り慣れているようなそんな気がしてしまったのだけれど、なぜなのだろうか。そんな感じなのだろうか?


夕方レニングラードを発ち8時間あまりで翌朝ハバロフスクに着くことになる。
時差的にハバロフスクの方が時間が早いので夜が短く寝不足になりそうだ。
10日余りかけ列車でゆっくり遅らせてきた7時間の時差を、飛行機で一気に取り戻してしまうのだ。何となく未来に飛んで行くタイムマシンの様な気がしてしまった。


しばらくして夕食の機内食が出た。あんまり内容を憶えてないのだけれど、食後のデザートとして出たリンゴが日本の感覚からしたらあまりにも貧相なものでビックリしたのを憶えている。まあ特に私が信州生まれで美味しいリンゴを食べ馴れてるせいもあるのかもしれないが。



新潟からの飛行機が通路側の席だったので、このときは窓際の席に座らせてもらった。暗い陸地にときどき街の明かりなど見えて奇麗だった。



ふと遠く地平線の方を見ると緑色の光のようなモノが見え、良く見るとゆらゆら揺れているような気がする。「えっこれってもしかしたらオーロラ?」ヤマチャノフスキーやオーリャに見てもらおうと思ったけれど窓が小さいのと機内の明かりの反射のせいか良く見えないようでした。


レニングラードあたりでもオーロラは見れることがあるそうなので、ちょっとそれより緯度は下がってもそのぶん高いところにいるので、見えてもおかしくないとは思うのですがどうなんでしょうか。今にして思うと席を立って二人に窓側に座って見てもらえば良かった思っている。