ALC ビル 診断 仕入 隣のコンパートメントでクレイジーな酒盛り:崩壊前のソ連、不思議で素朴な国14日間旅行記

隣のコンパートメントでクレイジーな酒盛り

目にしみる危険な飲み物

夜、一緒に飲まないかとボーバとミーシャ誘われて
彼らのコンパートメントに行きました。
そこにはサーシャという車掌さんもいました。



木箱の中からとりだされた瓶は、何のラベルも貼っていない瓶。
聞けば、80度のウォッカだそうだ。
水で半分に割ったものをコップに三分の一くらい入れ、もう一つのコップに水をなみなみと次ぎ、ウォッカをがぶっと一気に飲みその後に水をぐびぐびとのどにそそぎ込む。
「さあやれ」と我々にもコップを持たせた。


せっかく誘ってくれてもてなしてくれてるし、これはやらねばなるまいと、コップを顔の前に持ってくると目にしみる、しかも灯油のようなにおいがする。「おいおい、大丈夫なのだろうかこんなもの。」「密造酒か何かかもしれない。」などと思いつつ、ボーバがやって見せたようにハタボノフも一気にいったのであった。

「ピエーチィ・ピエーチィ」(飲め飲め)と促されてオーリャとヤマチャノフスキーも一気に。ハヤサカ氏だけは「私は飲めないから。」と隣りに引き上げたのであった。
海外旅行が始めての我々と違い、彼はこのときすでに危険を感じていたようだった。


魚の干物や、北朝鮮製の猪の肉の缶詰がつまみとして出てきました。misya.jpegさらに二度ほど一気をしたところまでは良かったのですが…後は記憶がぷっつんして何も憶えてないのでした。




…がんがんする頭で目が覚めると自分のコンパートメントのベットで苦しんでいました。…いったい、何杯飲んだのかわからないが、…私はボーバたちとソ連国歌やロシア民謡を肩を組んで楽しそうに歌っていたそうです。友好という意味のロシア語の「ドルージュバ 」「ドルージュバ」と連呼していたそうで、そして盛り上がったところで自力で帰ってきて寝たそうなのだ。



「ああ〜またやってしまったソ連に来てまで…とほほ」そう学生時代のハタボノフは何度も飲んで記憶をなくして、いろいろと失敗をしでかしていたのでした。



ところがHサカ氏は前夜もっと大変な目にあっていたようでした。オーリャとヤマチャノフスキーが悪酔いして吐いてしまったので、2人を介抱したり、おう吐した物をかたづけたり、車掌のおばちゃんには怒られるわで、散々だったようでした。いやはやお疲れさまでした。