ALC ビル 診断 仕入 モンゴルよりの乗換駅、ウランウデより乗車した人々:崩壊前のソ連、不思議で素朴な国14日間旅行記

モンゴルよりの乗換駅、ウランウデより乗車した人々

ウランウデより乗ってきた人々

シベリア鉄道のロシア号はひたすら走るのです。
そしてホントにたま〜に停まるのです。
「今日は停まったっけ?そういえばどうだったっけ?一、二回は停まったんじゃない。」
なんていう感覚でした。


現在はどうかは知りませんが…、このときはまだ旧ソ連の時代で、外国人が出入りできる都市が限られており、しかもそういう都市でも、ramaso.jpg中心地から半径何キロまでしか行ってはならないとか厳しい規制がありました。


写真を撮ってはいけないところというのもあり、
「軍事施設、あるいはそれに準ずる施設」確かこんな感じでした。
具体的には、空港・港・駅・橋などが撮影禁止の所でした。


駅に着くと我々もときどき降りてみました。
といっても短い時間しか停まらない駅は要注意。
日本のようにホームがちゃんとしてる駅などほとんどなく
梯子を降りるように高いところにある乗車口から降ります。
注意していないと日本のように発車のベルなどなりません。
そして音も無くスーと発車してしまうのです。


ウランウデという駅がイルクーツクよりちょっと手前にあります。
ここでモンゴルから来る列車と合流し大勢の人が乗り換えてきます。
当時はそんな詳しいことは知りませんでした。
ただ久しぶりに停まった駅から大勢の人間が乗ってきたなあと思っただけでした。


モンゴルのラマ僧が5.6人乗ってきました。
このときはモンゴルについての知識もほとんどなく、黄色い法衣をまとった人々が
チベット密教の流れをくむモンゴルのラマ僧であるなど思いもよらず、
映画の「ビルマの竪琴」に出てきた東南アジアの僧侶なのかと思ってしまいました。


他にも何人か乗ってきました。一人ジーパン姿の若い女性がいました。
韓国人や中国人が日本人と似ているといっても
なんとなく違いがわかる気がするのですが、
このモンゴルの女性がオバチャノフスカヤやオーリャと話してる姿は、
私にはどう見ても日本人にしか見えませんでした。
そのままの姿で日本のどこかの大学の教室にでもいたとしても、
何の違和感もないでしょう。


今にして思うと、このときの経験が
後にモンゴルへ行きたい気持ちを倍増させた気もします。