その頃のソ連事情

 1985年3月15日、前書記長、チェルネンコの死去により、ソ連共産党書記長にゴルバチョフがに就任しました。この旅行の始まる直前のことです。

 ゴルバチョフはご存じの通り、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)をおし進め、40年以上も続いていた冷戦を、集結させるきっかけを作った人です。

額ににアザがあるのですが、それが北方四島に似ているなんてことを言っている人もいました。後にゴルバチョフはノーベル平和賞を受賞しましたね。

 ところでこの旅行の時にはまだなかったのですが後に、ロシア土産で有名なマトリョーシカ人形に歴代の書記長に似せたものがありました。

マトリョーシカは蓋のように胴体辺りからパカッととれて中にまた人形が入っているやつです。その中にもまた人形があって…これが歴代の書記長が中に入っているというのも楽しいです。

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ご存じの方もおられるでしょうがソ連建国のレーニン、続いてスターリン、マレンコフ、フルシチョフ、ブレジネフ…と頭の薄い人、ふさふさの人が交互にずっと就任してるのです。つるつる頭の中からフサフサが、その中からまたつるつるが出てくるなんてなんだかニンマリしちゃいますよね。

 さてベルリンの壁が壊されたのがこの旅行の4年後の1989年、ソ連邦崩壊は6年後の1991年のことです。我々が行ったときは社会主義体制の末期だったわけでした。西側のものと交換したがる若者、ホテルの迎えの車はミラーが一つもげていたり、ホテルのテレビのつまみボタンがどこかに行っちゃっていたりそんな様子でした。でも駅や橋、軍事施設になる様のものを撮影してはいけなかったり、訪問できる都市も限られていたりしました。

 シベリア鉄道に乗っていて夜中に目が覚めて窓の外を見ていると、戦車や軍事車両を何台も乗せた貨車とすれちがいました。軍人、警察官はやたらといました。

 お店や街にモノはないのに軍や国家権力にはやたら金がかかっていた、後の崩壊が不思議でもないような時、そんなソ連へ旅行したのでした。

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