みたび財布が…でも今度はヤマチャノフスキー?

今日・明日でソ連ともお別れ。最後の晩餐はホテルのレストランで4人で「ディーナーイエス」かなと思ったら、オーリャ・ハヤサカ氏が疲れたから寝ているという。ヤマチャノフスキーとハタボノフという、どちらかというと引っ込み思案な2人で食べに行ったのでした。

レストランに入る前ルーブルが残り少ない事に気が付き、ホテルのフロントへチェインジに行ったのでした。


レストランのなかは相変わらず騒がしく、みんな踊っていた。
あいにくテーブルが空いていなくて相席となった。相席の先客はロシア人の若い女性2人と日本人の中年のおじさんという顔ぶれだった。
女性は2人とも奇麗な人で一人はモンゴリアンか?まるで日本人のようだった。
もうひとりはブロンドの西洋的な中にちょっと東洋的な感じのある女性。
おじさんとロシア語で話してる。おじさんはニコニコと「両手に華」状態で機嫌が良い。このおじさんはいったい何者なのだろうか…。khavarof.jpg

そのおじさんの助けを借り我々も食事を頼んだ。
おじさんは一人に女の子と踊りに行きました。



その間もう一人の女の子と我々は身ぶり手振りで話をしてました。ヤマチャノフスキーは腰のウエストポーチから割り箸を出し女の子に使い方など教えてました。


しばらくしておじさんは女の子を連れて楽しそうに戻ってきました。しばらく飲んだり食べたりして、もう一人の女の子にねだられまた踊りに行きました。また我々は踊りから戻ってきた女性と身ぶり手振りで何となく会話?をしてました。



ほどなくして踊り疲れて2人は戻ってきてニコニコしながら楽しそうにしている。
そんな姿を見ていると、そろそろ適当に「ビノー(ワイン)」が廻ってきた私などは
「このおっさんはなんて羨ましいのだ。2人も奇麗なロシア人ねえちゃんをはべらせおって、許せん、たたっ切ってやる。カキン、カキン、ズバッ、バサッ。」てな気分で、これ以上ここにいたら本当に、たたっ切っちゃいそうだったし、飲む方も食べる方も程々に満足した我々は、おじさんにオーダーをするとき助けてもらったお礼を言ってその場を後にしたのでした。

さて、今となっては細かい記憶が曖昧で、このときルーブルで支払いをしたのが2人のうちどちらだったかはっきりしないのです。2人でエレベータで自分の部屋の階に戻ったときヤマチャノフスキーの財布がないことに気がついた。さあ大変。



とにかくオオリャに頼んで各階にいる鍵の番とかをしているおばちゃんに「財布を無くした」とロシア語で言ってもらった。おばちゃんは血相をかえ、ここにいろと言い残し一階へ降りていった。


しばらくして戻ってきて、おばちゃんはヤマチャノフスキーを連れて再び行ってしまった。我々が一緒に行こうとすると「来てはいけないここで待て」と言い残して。


このあとの様子は後でヤマチャノフスキーに聞いたモノです。
パトカーが来て初老の日本語がちょっだけ話せる刑事にいろいろと聞かれたそうだ。
盗まれたと相手は理解していて、「盗まれたとは言ってなく無くなった」と言う説明をしてもなかなか理解して貰えなくて、結局一緒のテーブルに座っていたおじさんとロシア人の2人の女の子が疑われてしまい、身体検査までされたようだ。



しかし結局は出てこなく、もしみつかったら日本へ送ると言うことで、終わったそうである。言葉の微妙なニュアンスを伝えるのはとても難しいもんだと感じました。
当時共産主義全盛の時代、疑いをかけられただけでシベリア送りなんて事にもなりかねないなんて言う怖い話を聞いたことがあったけど2人の女の子は、その後の人生は無事であったのだろうかと心配してしまいました。そしてこのことが、その後何度となくソ連,ロシアにヤマチャノフスキーが行くことになるきっかけにもなったのでしょう。

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