シベリア鉄道にイルクーツクまでの乗車

matu.jpgハバロフスクの駅へインツーリストのガイドの人に送ってもらい、いよいよシベリア鉄道、ロシア号へ乗車した。

新潟から同じ飛行機で来た、やはり個人旅行の3人が一緒だった。その三人とは早稲田の学生で旦那も子供もいるらしいのになぜか一人旅のオバチャノフスカヤと、当時西武ライオンズにいた兄弟でピッチャーだった松沼兄弟にどことなく似ていた北海道の学生2人組。


新潟から飛行機に乗り込んだ多くの日本人の中、我々4人組を含めたこの7人以外はほとんどツアー客のようだった。


乗り込んでまもなく、スイス人観光客がひとり、我々四人のコンパートメントにやって来た。もちろんこれは、話してみてオーリャが聞いてスイス人だとわかったのだが。

我々が日本人らしいとみて「われわれは日本旅行からの帰りだ。」と英語で話しかけてきた。何処へ行って来たのか尋ねたら「ツバク・ツバク」と言ってる。4人ともしばらくポカーンとしていた。…オーリャかヤマチャノフスキーが気が付いた。「筑波だ!」

そう当時、筑波科学万博が始まったばかりでした。どうやら筑波を見た後シベリア経由でスイスまで帰るようだ。「オーイエース。ツバク・ツバク」「いーや・つ・く・ば」「オーイエース。ツバク・ツバク」「ノー・ノー。ツ・ク・バ」「オーイエース。ツバク・ツバク」それ以上どうしようもなく、沈黙になってしまった。

やがて話の進展はないまま、何となく居心地が悪くなったのか、我々の英語があまりにも拙くて話が通じないと思ったからか、何となく作り笑いをしながら、そのスイス人はコンパートメントを引き上げていった。最後までツバクだと思い込んでいたスイス人でした。

そして、彼がどこまで乗車したのかはわからないのだが、
その後、我々に近づいてくることはなかった。

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