ハバロフスクのホテルで
なんとかサイフが手元に戻って来たハタボノフは、
やはり前後を軍人さんに挟まれ戻ってきました。
税関ではウォークマンとか高級カメラなどを持ってる人などは
いろいろ聞かれたりしたようでしたが、
我々貧乏旅行の面々はすんなり通れました。
ただ、新潟空港で待ち時間に読んでいた雑誌を持っていたので、
それを係官が興味深そうに見ていたのが印象的でした。
特にヤマチャノフスキーの持っていたan・anは2人の係官が
嬉しそうに顔を寄せ会うように見ていました。
当時「ポルノグラフィー」のソ連への持ち込みは絶対御法度でした。
この後のシベリア鉄道内のロシア人もそうでしたが、
係官たちはダイエットの広告の女性の水着姿をみて喜んでいたようです。
最後に係官に「忘れ物がないように。財布もね!!」
と私の顔を見てにこっと笑われてしまったのにはちょっとばかり恥ずかしかったです。
空港へはお迎えのロシア人が来ていて、ホテルまで車で連れていってくれました。
ホテルの中はとても暖かったです。
自分の部屋に行くのにエレベータに乗ったのだけど、
これがかなり年季の入ったシロ物でした。
4人で乗り込んだのだけれども、扉も閉まらなければ動きもしません。
スタートのボタンを押さない限り動かないという仕組みで
日本のエレベータになれてる私達は戸惑ってしまいました。
送迎の車の中から見た信号も赤・黄・青の動き方の順番が違うようだったし、
やはり国が違うといろいろなものが違うもんだと感心しました。
ホテルの部屋に入り、一息ついた後、はらぺこの我々4人組は
ホテルのレストランへ食事に行ったのでした。
メニューを見ても良くわからない我々に…
ウエイトレスのおねーちゃんは「ディーナーイエス?」ときたもんだ。
そのわかりやすき英語にびっくりしつつも
「イエス、イエス」と四人で首を縦にふったら、
あとは適当におねーちゃんが食事を運んできてくれました。
まわりをみるとそこはディスコのように騒がしくみんな踊っていました。
ホテルのレストランはどうやら夜は社交場のようになっているらしい。
食べてる人は少ないようだ。
後で知ったのだがソ連は夜よりも
昼に豪華な食事をするのが普通だったようなのでした。
日本人の感覚と違い,所変わればってやつですね。
それでも出された料理を皆もぐもぐと食べ,
部屋に戻り一日に疲れでそうそうに休んだのでした。
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