ゴミゴミとした日本の街並。そしてカツ丼。
翌朝、ソ連滞在最後の日。
昨日の財布紛失騒動があったのに、まるで何事もなかったかのように朝食をとり、荷物をまとめて空港まで送ってもらいました。財布のことは「出てきたら連絡してくれ」とヤマチャノフスキーはホテルにも伝えてきたようです。
空港には新潟へ飛ぶ飛行機に乗る人達が待っていました。
昨日の相席になったおじさんもいました。
我々が悪いわけではないのに結果的に疑うような感じになってしまい、
なんとなく顔を合わせるのが気が引けました。
行きで一緒になったオバチャノフスカヤや松沼兄弟、
その時の税関の係官、この旅行で係わったいろんな人が空港に集まっていました。
そしていろんなハプニングの思い出とともに新潟へ飛び立ちました。
二時間後、新潟空港へ何の問題もなく無事に付きました。最初に空港で財布を無くしたとき助けてもらったツアーの添乗員にお礼をそこで告げ入国審査を済ませ空港を後にし街へ出ました。
日本へ着いた我々は最初に思ったのは広告とか張り紙がないソ連と比べて
「日本の街はゴミゴミしていてなんて汚いんだ」ということと
「カツ丼喰いて〜。」でした。 end
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