<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>旧ソ連、不思議で素朴な国14日間旅行記</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://cccp.wing-rf.net/atom.xml" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2009://9</id>
   <updated>2009-03-23T18:10:21Z</updated>
   <subtitle>イラストと写真で綴る旧ソ連時代の面白旅行記です</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.34</generator>

<entry>
   <title>ゴミゴミとした日本の街並。そしてカツ丼。</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/11/post_18.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.184</id>
   
   <published>2008-11-05T04:46:47Z</published>
   <updated>2009-03-23T18:10:21Z</updated>
   
   <summary>翌朝、ソ連滞在最後の日。 昨日の財布紛失騒動があったのに、まるで何事もなかったか...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="492広告のないさっぱりソ連からカオス？雑踏の日本へ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[翌朝、<strong>ソ連</strong>滞在最後の日。
昨日の財布紛失騒動があったのに、まるで何事もなかったかのように朝食をとり、荷物をまとめて空港まで送ってもらいました。財布のことは「出てきたら連絡してくれ」とヤマチャノフスキーはホテルにも伝えてきたようです。<br><br>
空港には新潟へ飛ぶ飛行機に乗る人達が待っていました。
昨日の相席になったおじさんもいました。
我々が悪いわけではないのに結果的に疑うような感じになってしまい、
なんとなく顔を合わせるのが気が引けました。
行きで一緒になったオバチャノフスカヤや松沼兄弟、
その時の税関の係官、この旅行で係わったいろんな人が空港に集まっていました。
<br><br>
そしていろんなハプニングの思い出とともに新潟へ飛び立ちました。
二時間後、新潟空港へ何の問題もなく無事に付きました。最初に空港で財布を無くしたとき助けてもらったツアーの添乗員にお礼をそこで告げ入国審査を済ませ空港を後にし街へ出ました。
<br><br>日本へ着いた我々は最初に思ったのは広告とか張り紙がない<strong>ソ連</strong>と比べて

「日本の街はゴミゴミしていてなんて汚いんだ」ということと
<br><br>
「カツ丼喰いて〜。」でした。　　end <br><br>
 <a href="http://cccp.wing-rf.net/501/"><img alt="katudon.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/katudon-thumb.jpg" width="120" height="114" /></a><br>
（クリックしてね。<strong>ソ連</strong>で食べたかったものへ飛びます）
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>「チイェトリ・チイェトリ」とくせーミルク</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/11/post_17.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.183</id>
   
   <published>2008-11-03T17:42:57Z</published>
   <updated>2009-03-23T18:06:20Z</updated>
   
   <summary>外はマイナス何十度かという極寒の地シベリアにあって、シベリア鉄道、ロシア号の中は...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="325おいしい飲み物と車内販売のおじさんの話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="raver.jpg" src="http://cccp.a-wires.com/rosia.jpg" width="297" height="235" border=0 align=left vspace=5 hspace=5>外はマイナス何十度かという極寒の地シベリアにあって、シベリア鉄道、<strong>ロシア</strong>号の中はストーブが焚かれ、窓は二重窓であり、初夏のようにTシャツ一枚でも充分な暖かさであった。<br><br>


過去にもオリエント急行に乗っていたり、鉄道マニアのHサカ氏は嬉しくてしようがない様子で満面の笑みという感じ。一枚一枚、何を撮ったのか記録を取りつつ写したり、他の車両を探索に行ったりといきいきとしている。<br><br>



 昼飯は車内販売のおじさんが<strong>ロシア</strong>式弁当をアルマイトの入れ物にいれ、<strong>ロシア</strong>風岡持にいれ列車内を売って歩いていた。ボルシチにパンがついてちょうど１ルーブルだった。今の貨幣価値と比べてどうなのだろうか？
<br><br>
とにかく腹ぺこ四人組はそれを「チイェトリ・チイェトリ」と４人分買って食べました。
なかなか美味しく，今でも忘れられない味でした。
<br><br>
シベリア鉄道は全線続けて乗っていると８日間かかりますがそれはたいへんだからと、途中イルクーツクで降り一泊しまた乗り直したのですが、後半に乗った<strong>ロシア</strong>号では車内販売のおじさんはいなかったような気がする。いや、いたのかもしれませんが、この時のおじさんほどのインパクトがなかったのかもしれません。
<br><br>

<strong>ロシア</strong>号にはビュッフェもありました。後半の時は４人で食べに行きましたが、前半は車内販売のおじさんの持ってくるものばかり食べてましたので、ビュッフェに行くのは主に飲み物を買うときでした。<img alt="raver.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/raver.jpg" width="297" height="325" border=0 align=left vspace=10 hspace=10>「くろすぐり」や「こけもものジュース」が最高に美味しかったです。
<br><br>

この時からおよそ一年後にチェルノブイリ原発が事故を起こしています。「くろすぐり」などがソ連のどこでとれたのかわかりません。こういう天然のもののジュースはその後飲めなくなったのかもと思われますがどうだったのでしょうか。
<br><br>
他にも「ケフィール」という牛乳のように見える白い飲み物がありました。飲むヨーグルトのような、あるいはチーズのような感じのもので、あまりおいしいとは思いませんでした。特にその匂いから「クセーミルク（臭いミルク）」と皆で呼んでました。これは最近日本でも「ケフィア」という名で売られているものと同じでしょうか？テレビのコマーシャルで見るとそんな感じですが、「ケフィア」を飲んだことがないのでわかりません。
<br><br>
また、後にモンゴル旅行をした時に「馬乳酒」を飲んだのですが、これともちょっと違った感じでした。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ビップ扱いのインツーリスト</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/11/post_16.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.182</id>
   
   <published>2008-11-03T17:16:48Z</published>
   <updated>2009-03-24T13:31:08Z</updated>
   
   <summary>夜が明け、朝食を食べました。何かお腹が減ってないのです。時差の関係でしょうか？そ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="462初めての機内泊、ヴィップ扱いのインツーリスト" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="vip.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/vip.jpg" width="400" height="284" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>夜が明け、朝食を食べました。何かお腹が減ってないのです。時差の関係でしょうか？そう東に向かって飛んだので、時間を逆戻りさせて、夜が短かったのです。<br><br>そしてまもなくしてハバロフスク空港へ到着しました。決して立派とは言えない<strong>ソ連</strong>製の飛行機です。離陸の時と着陸の時が一番危ないといいます。そんな心配もよそに無事着陸しゆっくりと飛行機は止まりました。
みんな、がやがやと立ち上がり出口へ向かおうとしたら、スチュワーデスが<strong>ロシア</strong>人を少し待てと静止しました。<br><br>
周りの<strong>ロシア</strong>人はまた「インツーリスト〜」「〜インツーリスト」なんて言ってこちらを見てます。<br><br>
まもなくタラップからベテランのスチュワーデスが昇ってくるのが窓から見えました。そして我々４人にの所へ来て「どうぞ」という感じで案内され、４人だけ先に降ろされました。
そしてバスで我々４人だけ乗せられ飛行機から建物まで連れて行かれました。乗る時と同じくまた何かビップ扱いでした。<br><br>

でもちょうどそのころ、フィルピンの次期大統領候補と言われていたアキノ氏が飛行機を降りて直ぐ射殺された事件がありました。テレビとかでやっていた｛スチュワーデスがタラップから乗り込んできてアキノ氏だけ先に案内され降りたところを…｝という映像が頭に焼き付いていたので、なんとなく怖かったです。
<br><br>

でも無事に飛行機を降り、今度は何十人も乗れるバスに我々四人だけ乗せられ空港の事務所的な所に案内され、荷物等のチェックをされました。一見VIP扱いなのですが、しっかり監視されてるのだとつくづく感じました。<br><br>
そうここはソ連，共産圏の国なのでした。資本主義の国から敵国の日本人たちの行動にはやは無理があり、は知らせ、自由はないのです．]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>目にしみる危険な飲み物</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/11/post_15.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.181</id>
   
   <published>2008-11-03T16:57:19Z</published>
   <updated>2009-03-24T13:45:19Z</updated>
   
   <summary>夜、一緒に飲まないかとボーバとミーシャ誘われて 彼らのコンパートメントに行きまし...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="379隣のコンパートメントでクレイジーな酒盛り" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[夜、一緒に飲まないかとボーバとミーシャ誘われて
彼らのコンパートメントに行きました。
そこにはサーシャという車掌さんもいました。
<br><br>
木箱の中からとりだされた瓶は、何のラベルも貼っていない瓶。
聞けば、80度のウォッカだそうだ。
水で半分に割ったものをコップに三分の一くらい入れ、もう一つのコップに水をなみなみと次ぎ、ウォッカをがぶっと一気に飲みその後に水をぐびぐびとのどにそそぎ込む。
「さあやれ」と我々にもコップを持たせた。
<br><br>せっかく誘ってくれてもてなしてくれてるし、これはやらねばなるまいと、コップを顔の前に持ってくると目にしみる、しかも灯油のようなにおいがする。「おいおい、大丈夫なのだろうかこんなもの。」「密造酒か何かかもしれない。」などと思いつつ、ボーバがやって見せたようにハタボノフも一気にいったのであった。<br><br>

「ピエーチィ・ピエーチィ」（飲め飲め）と促されてオーリャとヤマチャノフスキーも一気に。ハヤサカ氏だけは「私は飲めないから。」と隣りに引き上げたのであった。
海外旅行が始めての我々と違い、彼はこのときすでに危険を感じていたようだった。<br><br>
魚の干物や、北朝鮮製の猪の肉の缶詰がつまみとして出てきました。<img alt="misya.jpeg" src="http://cccp.wing-rf.net/misya.jpeg" width="300" height="300" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>さらに二度ほど一気をしたところまでは良かったのですが…後は記憶がぷっつんして何も憶えてないのでした。

<br><br>
…がんがんする頭で目が覚めると自分のコンパートメントのベットで苦しんでいました。…いったい、何杯飲んだのかわからないが、…私はボーバたちと<strong>ソ連</strong>国歌や<strong>ロシア</strong>民謡を肩を組んで楽しそうに歌っていたそうです。友好という意味の<strong>ロシア</strong>語の「ドルージュバ 」「ドルージュバ」と連呼していたそうで、そして盛り上がったところで自力で帰ってきて寝たそうなのだ。
<br><br>
「ああ〜またやってしまった<strong>ソ連</strong>に来てまで…とほほ」そう学生時代のハタボノフは何度も飲んで記憶をなくして、いろいろと失敗をしでかしていたのでした。
<br><br>
ところがHサカ氏は前夜もっと大変な目にあっていたようでした。オーリャとヤマチャノフスキーが悪酔いして吐いてしまったので、２人を介抱したり、おう吐した物をかたづけたり、車掌のおばちゃんには怒られるわで、散々だったようでした。いやはやお疲れさまでした。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>みたび財布が…でも今度はヤマチャノフスキー?</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_14.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.179</id>
   
   <published>2008-10-29T09:13:08Z</published>
   <updated>2009-03-24T13:55:09Z</updated>
   
   <summary>今日・明日でソ連ともお別れ。最後の晩餐はホテルのレストランで４人で「ディーナーイ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="484 みたび財布が…でも今度はヤマチャノフスキー?" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[今日・明日で<strong>ソ連</strong>ともお別れ。最後の晩餐はホテルのレストランで４人で「ディーナーイエス」かなと思ったら、オーリャ・ハヤサカ氏が疲れたから寝ているという。ヤマチャノフスキーとハタボノフという、どちらかというと引っ込み思案な２人で食べに行ったのでした。<br><br>

レストランに入る前ルーブルが残り少ない事に気が付き、ホテルのフロントへチェインジに行ったのでした。<br><br>
レストランのなかは相変わらず騒がしく、みんな踊っていた。
あいにくテーブルが空いていなくて相席となった。相席の先客は<strong>ロシア</strong>人の若い女性２人と日本人の中年のおじさんという顔ぶれだった。
女性は２人とも奇麗な人で一人はモンゴリアンか？まるで日本人のようだった。
もうひとりはブロンドの西洋的な中にちょっと東洋的な感じのある女性。
おじさんと<strong>ロシア</strong>語で話してる。おじさんはニコニコと「両手に華」状態で機嫌が良い。このおじさんはいったい何者なのだろうか…。<img alt="khavarof.jpg" src="http://cccp.a-wires.com/khavarof.jpg" width="320" height="256" border=0 align=right vspace=5 hspace=5><br><br>そのおじさんの助けを借り我々も食事を頼んだ。
おじさんは一人に女の子と踊りに行きました。
<br><br>
その間もう一人の女の子と我々は身ぶり手振りで話をしてました。ヤマチャノフスキーは腰のウエストポーチから割り箸を出し女の子に使い方など教えてました。
<br><br>しばらくしておじさんは女の子を連れて楽しそうに戻ってきました。しばらく飲んだり食べたりして、もう一人の女の子にねだられまた踊りに行きました。また我々は踊りから戻ってきた女性と身ぶり手振りで何となく会話？をしてました。
<br><br>
ほどなくして踊り疲れて２人は戻ってきてニコニコしながら楽しそうにしている。
そんな姿を見ていると、そろそろ適当に「ビノー（ワイン）」が廻ってきた私などは
「このおっさんはなんて羨ましいのだ。２人も奇麗な<strong>ロシア</strong>人ねえちゃんをはべらせおって、許せん、たたっ切ってやる。カキン、カキン、ズバッ、バサッ。」てな気分で、これ以上ここにいたら本当に、たたっ切っちゃいそうだったし、飲む方も食べる方も程々に満足した我々は、おじさんにオーダーをするとき助けてもらったお礼を言ってその場を後にしたのでした。<br><br>

さて、今となっては細かい記憶が曖昧で、このときルーブルで支払いをしたのが２人のうちどちらだったかはっきりしないのです。２人でエレベータで自分の部屋の階に戻ったときヤマチャノフスキーの財布がないことに気がついた。さあ大変。
<br><br>
とにかくオオリャに頼んで各階にいる鍵の番とかをしているおばちゃんに「財布を無くした」と<strong>ロシア</strong>語で言ってもらった。おばちゃんは血相をかえ、ここにいろと言い残し一階へ降りていった。<br><br>
しばらくして戻ってきて、おばちゃんはヤマチャノフスキーを連れて再び行ってしまった。我々が一緒に行こうとすると「来てはいけないここで待て」と言い残して。
<br><br>このあとの様子は後でヤマチャノフスキーに聞いたモノです。
パトカーが来て初老の日本語がちょっだけ話せる刑事にいろいろと聞かれたそうだ。
盗まれたと相手は理解していて、「盗まれたとは言ってなく無くなった」と言う説明をしてもなかなか理解して貰えなくて、結局一緒のテーブルに座っていたおじさんと<strong>ロシア</strong>人の２人の女の子が疑われてしまい、身体検査までされたようだ。
<br><br>
しかし結局は出てこなく、もしみつかったら日本へ送ると言うことで、終わったそうである。言葉の微妙なニュアンスを伝えるのはとても難しいもんだと感じました。
当時共産主義全盛の時代、疑いをかけられただけでシベリア送りなんて事にもなりかねないなんて言う怖い話を聞いたことがあったけど２人の女の子は、その後の人生は無事であったのだろうかと心配してしまいました。そしてこのことが、その後何度となくソ連，ロシアにヤマチャノフスキーが行くことになるきっかけにもなったのでしょう。
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>深夜の地平線の先に見えたのは、緑色のオーロラ？ </title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_13.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.178</id>
   
   <published>2008-10-29T09:12:00Z</published>
   <updated>2009-03-24T14:10:10Z</updated>
   
   <summary>レニングラードからハバロフスクまでは飛行機での移動です。新潟からハバロフスクまで...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="454ゆっくり過ぎて来た時を戻すフライト？緑色のオーロラ？" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[レニングラードからハバロフスクまでは飛行機での移動です。新潟からハバロフスクまで飛んだのとは違い今度は<strong>ソ連</strong>国内線ということです。ホテルからはタクシーで飛行場まで連れて行いてもらいました。<br><br>


空港では大勢の人々が飛行機の発着を待っていました。搭乗券をもらい手荷物検査です。ズラーと並んでる<strong>ロシア</strong>人の列ではなく、その隣りに並ばされ、我々４人だけ別な検査を先に受けました。
<br><br>
鞄の中をエックス線で投影し画面を見ながら「危ないものはないか？あれは何だ、これは何だ」と言ってるようでした。まあそれでも無事に通れました。そしてタラップの前に列を作ってる<strong>ロシア</strong>人をしりめに、我々だけ先に搭乗させられました。
ちょっとしたビップ扱いという感じで気持ちよかったです。まあ実はしっかりと外国人は監視されているという事なのですが。
<br><br>

早々と乗り込んだ我々のあと、どやどやと<strong>ロシア</strong>人が乗り込んできました。席に座って待ってると、<strong>ロシア</strong>人のおじさんがこっちに向かって何か言ってます。「そこは俺の席だ、おまえらなんで座ってるんだ」という感じな事を言ってるような気がするのだが…、<br><br>
言葉がわからないのでポカンとしていたら、周りにいた人達が「インツーリスト〜」「〜インツーリスト」と言っている。…そうするとそのおじさんは不満なのだけれどしょうがないと言う顔をし、後から来て事情を説明しているスチュワーデスとともに何処へ行ってしまった。「うーんこれは何なんだろうか」我々は最初の予定では次の日の飛行機に乗るはずだった。だけど何かの手違いで次の日の飛行機はもともと存在しなくこの日になったのだ。だからホントはこの席はさっきのおじさんの席なのかもしれない。それを<strong>ソ連</strong>国営旅行会社である”インツーリスト”が国家権力の名の下に強引に割り込んでしまったのかもしれない。<br><br>
あのおじさんは結局どうしたのだろうか。何となく想像の世界でしか無く、ホントの所はわからないのだがちょっと心配でありまた申し訳ないような気持ちであった。
<br><br>
そうこうしているうちに離陸の時間になった。どうも周りを見ていると、日本の国内線と違ってみんな気楽にバスでも乗るような雰囲気なのだ。なにかみんな乗り慣れているようなそんな気がしてしまったのだけれど、なぜなのだろうか。そんな感じなのだろうか？
<br><br>

夕方レニングラードを発ち8時間あまりで翌朝ハバロフスクに着くことになる。
時差的にハバロフスクの方が時間が早いので夜が短く寝不足になりそうだ。
10日余りかけ列車でゆっくり遅らせてきた７時間の時差を、飛行機で一気に取り戻してしまうのだ。何となく未来に飛んで行くタイムマシンの様な気がしてしまった。
<br><br>

しばらくして夕食の機内食が出た。あんまり内容を憶えてないのだけれど、食後のデザートとして出たリンゴが日本の感覚からしたらあまりにも貧相なものでビックリしたのを憶えている。まあ特に私が信州生まれで美味しいリンゴを食べ馴れてるせいもあるのかもしれないが。
<br><br>
新潟からの飛行機が通路側の席だったので、このときは窓際の席に座らせてもらった。暗い陸地にときどき街の明かりなど見えて奇麗だった。
<br><br>
ふと遠く地平線の方を見ると緑色の光のようなモノが見え、良く見るとゆらゆら揺れているような気がする。「えっこれってもしかしたらオーロラ？」ヤマチャノフスキーやオーリャに見てもらおうと思ったけれど窓が小さいのと機内の明かりの反射のせいか良く見えないようでした。
<br><br>

レニングラードあたりでもオーロラは見れることがあるそうなので、ちょっとそれより緯度は下がってもそのぶん高いところにいるので、見えてもおかしくないとは思うのですがどうなんでしょうか。今にして思うと席を立って二人に窓側に座って見てもらえば良かった思っている。
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>レニングラードはヨーロッパの香!! 青銅の騎士像のまえで</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_12.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.177</id>
   
   <published>2008-10-29T09:11:04Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:02:11Z</updated>
   
   <summary>レニングラードには2泊する事になっていました。 街を歩いて帰ってきて夕方疲れてち...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="452　レニングラードはヨーロッパの香!!青銅の騎士像の前で" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[レニングラードには2泊する事になっていました。
街を歩いて帰ってきて夕方疲れてちょっと休んでいたら、
ホテルの部屋の電話が鳴り私しかいなくでました。
フロントからの電話で、英語でした。
レニングラードからハバロフスクへの飛行機の事を言ってるようでしたが良くわかりません。
それでも何回か聞き直してやっと言いたいことがわかりました。<br><br>
このころになると、あまりわからない<strong>ロシア</strong>語より
まだ少しはましな英語を聞くとちょっと安心するような気分になっていました。<br><br>
二日後にハバロフスクまで乗る予定だった飛行機だったが、
実際はその前の日、つまり明日にしか飛ばないとのこと。どうすればいいか困った。
確認のためフロントに行ったら明日空港に来れば大丈夫にしておくとのことだった。
2泊の予定だったレニングラードを1泊で去らなければならなくなった。
<br><br>
ハタボノフにはレニングラードにはちょっとした思い入れがあった。
当時アルバイトをしていたデザイン事務所でやっていた雑誌で、以前レニングラードの特集があり誌面作りを手伝ったことがあった。地図づくりをしたり、レイアウトにしたがい、写真のトリミング指示のスケッチ、通称アタリを取ったりしていました。<img alt="kisi.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/kisi.jpg" width="320" height="259" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>奇麗な写真の中に 「青銅の騎士像」というモノの美しい写真がありました。半分シルエットになりバックは赤く夕焼けのように見える。でもこれは朝焼けかもしれない。その微妙な色、どちらか判らない。なぜかそれが非常に気になって確かめてみたいという気持ちだった。<br><br>
他にも地図づくりで出てきた本屋やアクセサリー民芸店など、あるいは街のシンボルとして橋や交差点にある彫刻などをのぞいてみたかった。
さらに帝政<strong>ロシア</strong>時代の宮殿、エルミタージュ美術館、大黒屋光太夫の遺品などの残る博物館など見てみたかった。
<br><br>
すなわち今回の旅行で唯一予備知識があった場所であった。
それなのに残念ながら日程が一日減ってしまった。
夜はみんなとレストランで食事をしようということになっていたので、
ほんの２時間くらいだったが、「それまでには戻る」という約束で、
また一人カメラをかかえて青銅の騎士像を見に行ったのでした。 <br><br>
人任せでなく自分一人での行動は、他の時よりやはり記憶に深く刻まれている。
はたして雑誌で見たあの写真は、朝焼けだったのか夕焼けだったのか？
朝焼けでした。でも反対からとればちゃんと夕焼けもとれる位置であった。
一生懸命いいアングルを探し写真をとったのでした。<br><br>
でもエルミタージュ美術館の真横を通ったのに、その素晴らしい建物がエルミタージュだとは気がつかずに中に入るはおろか、正面にまわってみることすらしませんでした。残念、残念。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>仕組まれたカーチェイス?! 東海大の元留学生</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_11.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.176</id>
   
   <published>2008-10-29T09:09:32Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:14:20Z</updated>
   
   <summary>夜、モスクワからレニングラードへ向かう列車「レッドアロー号」に乗るためにホテルの...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="411 　仕組まれたカーチェイスか?! 謎の東海大の元留学生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="carchace.gif" src="http://cccp.wing-rf.net/carchace.gif" width="300" height="306" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>夜、モスクワからレニングラードへ向かう列車「レッドアロー号」に乗るためにホテルのロビーで案内してくれる通訳の人を待ってました。なかなか来ないのでフロントに聞いてみるのだけど片言の英語と<strong>ロシア</strong>語では、なかなか通じずに要領を得ない感じで、時間だけがせまってきました。<br><br>その時、客室の方から歩いてきた数人の<strong>ロシア</strong>人の中の一人が話しかけてきました。「どうしました。」おお、なつかしき日本語の響きである。訳をその男に話しました。<br><br>その男はフロントに、ふたことみこと話しかけたが、直ぐに「わかりました。私が連れていってあげましょう」とホテルの外へと我々を導きました。一緒にいた仲間の一人が自分の車を用意に行ったようです。<br><br>そして話しかけてきた本人はスーツケースを一緒に運んでくれながら「私は、日本の東海大に留学してました。東海大の◎◎さん知ってますか。」我々がぽかーんとしてると続けて「○○さんは知ってますか。○○さんはには大変世話になりました。」と話したのです。どうやら柔道関係の人のようでしたがまったくわかりませんでした。
<br><br>
待機していたタクシーに我々を乗せ、その東海大の元留学生は自分たちの車に乗り込み、
タクシーの運転手に遅れずに着いてくるように言い残し車を発進させました。
タクシーの運転手はちょっと慌てたそぶり。
それからはもう映画の世界にでも入りこんでしまったかのようでした。
<br><br>
夜のモスクワの町の中、タイヤをきしませながら猛スピードで走るロシア人の車。
それに離されないように必死なハンドルさばきで着いて行くタクシー。
我々はタクシーの中で必死に踏ん張ろうとするが、あっちに引っ張られこっちに押しつけられ、とっても怖く、顔をひきつらしていました。ホントに映画のカーチェイスのようでした。もう勘弁してくれーという感じでしたが、何とか死なずに駅に着きました。
<br><br>
息も絶え絶えという感じですが、さあ早く列車に飛び乗らねばと思っているのに
その<strong>ロシア</strong>人は悠々と構えているのでした。
「おい何してるんだ」と思ったら、
「私、間違えてました。レニングラード行く列車が出る駅は遠くありませんでした。
充分間に合いましたね。」と。<br><br>
そして荷物を運ぶのを手伝ってくれて列車に乗り込んで
「東海大の○○さんホントに知りませんか」とまた聞くのであった。
そして
「東海大の○○さんには大変世話になりました。」
「東海大の○○さん会ったらよろしく伝えてくだい。」というのでした。
そして我々が乗り込んだレッドアロー号は彼らに別れを告げ
夜のモスクワを後にしたのでした。
<br><br>
ふと気が付くと彼らの名前さえ聞くのを忘れていました。
彼らはいったい何だったのでしょうか？
「実は彼らがもともと我々につくはずのガイドだったのだ。」
「いややっぱり関係ないけどたまたま親切な元留学生だよ」
「駅を知っていてタクシーの運転手について来いと言ったくせに実は勘違いしていて、
あんなにとばす必要もない程近かったなんて何か不自然だよ。」
<br><br>
いずれにしても、<strong>ソ連</strong>もすでにない今となっては真実はわかりません。
ただ何となく貴重な体験であり、ちょっとワクワクするようなスリルを味わった事だけは事実でした。 ]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>モスクワ・ベリョースカにて…またもや財布が！</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_10.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.175</id>
   
   <published>2008-10-29T09:08:18Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:24:02Z</updated>
   
   <summary>モスクワを、今晩去るという最後の日。街を歩きながら我々もそろそろ家族や友人にでも...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="400 モスクワベリョースカにて …またもや財布紛失！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="beryo.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/beryo.jpg" width="300" height="216" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>モスクワを、今晩去るという最後の日。街を歩きながら我々もそろそろ家族や友人にでもみやげを買わねばという気になり、ベリョースカという外貨ショップに行きました。<br><br>
ここモスクワのベリョースカは、ハバロフスクのそれに比べるとさすがに大きく確か３フロアーくらいあったと思います。
そこへ大きなバスが何台も乗り付けていろんな国のツアー客が、みやげを買っていた。
貴金属類・琥珀・食器・毛皮など種類別 に各種取りそろえられていた。
その数年後に、ペレストロイカ政策や民主化の波で
どこもかしこもが物不足になるなんて誰も想像もできないような大品揃えだった。
<br><br>
食器好きな女性が泣いて喜ぶようなチャイナペイントされたティーカップなども
多量にあったのだが貧乏旅行の面々にとっては
猫に小判、馬の耳に念仏、ハタボノフにキャビアなのであった。
<br><br>
マトリョーシカが種類別にたくさん並んでいるのは特に印象に残る壮観な眺めであった。 私、ハタボノフもついつい「<strong>ソ連</strong>の土産といえばこれでしょう」
という感じで黄色いマトリョーシカを買ってしまったのでした。
ただし一番大きな奴でなく２番目の大きさのを買うところが
ハタボノフのせこいとこかも？しれない。
そのときはまだ、大統領・書記長マトリョーシカは
存在していなかったと思うがどうだったろうか？
<br><br>
…ところがここでまたハタボノフはやってしまいました。
気が付くとポケットに入れた財布がない！
「おおまたか。何度目だ？ …。」
自らも、ヤマチャノフスキーもオオリャも皆そう思ったことでしょう。
 そして果たして程なく例のごとく見つかるのでした。
ただ今度をホントに落としていて、歩いて来たところを必死に探したのでした。
<br><br>階段を上って確か3階まで来ていたので2階におりて探し
１階へ階段を駆け下りようとしたら,下から２人の<strong>ロシア</strong>人のお姉ちゃんが昇ってきて
「ディスイズ・ヨアーズ」とにっこりと話しかけてきました。
「イエス・イエス」「スパシーボ」
と大助かりで、お姉ちゃんがとっても
”クラシーバ”
に見えたような気がするようなしないような。
制服を着ていたのでどうやらこの店の店員のお姉ちゃんだったようです。
思わず「<strong>ソ連</strong>ってホンーっとにいいもんですね。」
「ではまた来週。さよなら。さよなら。さよなら。」
何て言ってみたくなりました。
<br><br> 
おっちょこちょいで困った人間ですが、なんとも運がよく助かりました。
日本ではこうはいかないんじゃないかと思ったものでした。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>高価なパンスト・グムのウインドウ、シェルター代わりの地下鉄の駅</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_9.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.174</id>
   
   <published>2008-10-29T09:07:07Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:29:59Z</updated>
   
   <summary>モスクワは大都会？人が多い。車も。 まずはクレムリン赤の広場に行った。 テレビな...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="384「高価なパンスト」グムのウインドウと地下鉄の駅" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[モスクワは大都会？人が多い。車も。
まずはクレムリン赤の広場に行った。
テレビなどで戦車などが行進している姿を見たあの広場。やはり広い。
そして共産党大会の後など書記長や党幹部が顔を見せるお立ち台のようなところ。
「なるほどここがそうか。」
ここは日本でゆう皇居のようなものだからロシア人のお上りさんらしき人も多い。
警官か兵士のような制服を着た人間が、集合写真を撮っている。
<br><br>広場をはさんで反対側が「グム」というロシア最大の百貨店である。
そしてクレムリンにむかって左手にはネギ坊主のようなモスクのある寺院。
レーニン廟の前には衛兵が立っている。
まさしくソ連だ。モスクワだ。
<br><br>
夜、私以外の三人は地下鉄を乗りに行っていたようだ。
私は一人で赤の広場に夜景を撮りに来た。
どこの国の人か判らないが何人かやはり夜景を撮影に来ている人がいた。
ただとっても失礼な言い方かもしれないが持っているカメラが
みんなかなり旧式なようでみすぼらしい感じのモノだった。
一眼レフでズームレンズをつけたカメラを持つまだ若い私を見たら、外国人から見れば
日本とは贅沢の国だと見えるのもおかしくはないかもしれないなどと思ってしまった。
<br><br>
この時、日本を出るとき三脚を持って来ようか迷い、
最後にはやめたことをちょっと後悔した。
<br><br>
結局iso1600のフィルムを3200に増感し、手持ちで撮影した。
出来上がったモノは当然の事ながら粒子が荒れ荒れの、
色の悪いモノになってしまい残念だった。
<br><br>
グムのウインドウには明かりが灯っていた。
その前には人が立ち止まりモノ欲しそうに見ている。
中を覗くと女物のパンティーストッキングがうやうやしく飾ってあった。
<br><br>そういえば日本を出発する前にかすかに聞いた覚えがあった。
「パンストを持っていくとソ連では高く売れるぞ！」と。
誰が言ってたのかわからないが、はたして実際にその様であった。
<br><br>
翌日は私もみんなと一緒に地下鉄に乗ってモスクワの郊外へ行ってみた。
地下鉄は自動改札でコインを入れると通 れるというモノで、
近くに制服を着たおばちゃんの駅員？あるいは婦人警官？
が鋭い目で見ていたのは印象に残る。
<br><br>
何処まで云っても同じ値段、コイン一枚。
 エスカレータで地下深く降りていくのだが、これが角度が急でしかも速い。
東京でエスカレータなど乗り慣れていたはずなのに
一瞬怖くて躊躇してしまうくらい速いの だ。
何とか乗ったら、みんな片側に奇麗に寄っていて、
アベックも男が低い段、女が高い段に立って抱き合ってたりする。
ちょっと高所恐怖症気味の私は乗ってるだけでも怖いのに
その横を急ぐ人がすごい勢いで駆け下りて行く。
「ヒィヨエー。なんだこれ〜」とビックリしてしまいました。<br><br>
ながいなが〜いエスカレータを降りてホームに着いた。
壁に立派な彫刻が施されていてまるで美術館のような雰囲気だった。
オーリャと話したが、こんなに深いところにあるというのは
有事のための核シェルターを兼ねているかららしい。<br><br>
地下鉄に乗って、着いたところはさしずめ
「モスクワの多摩ニュータウン」か「高島平団地」と云ったところか？
 乳母車を押すお母さん。
自転車をこいで楽しそうに遊んでいる小学生ぐらいの女の子たち。
モスクワの中心部と違い、住んでる人間の息づかいや生活感を感じるような気がした。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ボーバ・ミーシャ・サーシャ　隣のコンパートメントで</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_8.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.173</id>
   
   <published>2008-10-29T09:04:49Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:38:32Z</updated>
   
   <summary>ロシア号からの眺めは単調に雪原が続きときどき白樺林がある程度なので、外の景色など...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="377 ボーバ、ボーバのパパのボーバ？タヌクにサマリョータ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<strong>ロシア</strong>号からの眺めは単調に雪原が続きときどき白樺林がある程度なので、外の景色など直ぐに見飽きてしまう。
ただひたすら雪原を眺め続ける頑固そうな老人もいたが、退屈な時間をいかに過ごそうかと多くの<strong>ロシア</strong>人も考えていたのでしょうか。<img alt="tank.gif" src="http://cccp.wing-rf.net/tank.gif" width="300" height="226" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>隣のコンパートメントの<strong>ロシア</strong>人と話をするようになりました。<br><br>一人はちょこまか動くちょっと小柄なボーバ、もう一人はめちゃくちゃ大きい体にのっそりとしたミーシャというコメディーにでも出てきそうな２人組でした。
オオリャが聞いたところによるとどうやら２人は技師のようでした。
<br><br>さらに別のコンパートメントには、子供連れのまじめそうな夫婦がいました。
子供がまたボーバという４、５才の男の子で、オーリャは自分の<strong>ロシア</strong>語の会話のレベルが男の子と同じくらいで、ちょっとした言い回しが違うとボーバが「おまえの言葉は違う」といい直すんだと苦笑いしていた。
<br><br>「タヌク」「サマリョータ」この子のおかげで、いくつかのロシア語の単語を憶えました。
このボーバも今や同じくらい、あるいはもっと年上の子供がいるお父さんになってるかもしれない。

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>イルクーツクの愚連隊？　えっ!!　俺のこと…</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_7.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.172</id>
   
   <published>2008-10-29T09:03:28Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:44:12Z</updated>
   
   <summary>シベリアのほぼ中央にあるバイカル湖のそばの街イルクーツクに着いた。 イルクーツク...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="366 イルクーツクの愚連隊？……えっ、俺のこと？" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="I_gurentai.jpeg" src="http://cccp.wing-rf.net/I_gurentai.jpeg" width="300" height="451" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>シベリアのほぼ中央にあるバイカル湖のそばの街イルクーツクに着いた。 イルクーツクのホテルのレストランではアバの曲が流れていました。イルクーツクはハバロフスクよりさらに寒い感じがした。<br><br>ホテルの部屋からはアムール川の流れに雪か氷の固まりが流れていくのが見えました。これが流氷の元なのか？何て考えたけど実際のところはどうなんでしょうか。<br><br>オバチャマノフスカヤと松沼兄弟はバイカル湖へのオプショナルツアーに出かけたが、我々はイルクーツクの町を歩いてみました。<br><br>一応ガイドの地図など見たりしてお店を探して歩いたのだけれど、何にもない寂しい田舎町という感じでした。…しかしこれはその後何度もその地に足を踏み入れたヤマチャノフスキーによると、一番メインの賑やかな通りと一本ずれて歩いてしまったからのようであるらしい。<br><br>しばらく歩いていると、どうも街の人々の視線が冷たいような刺さるような感じがするのでした。
「田舎町で外国人があんまり来なく、珍しいからじゃないか」
「ほとんどロシア人は黒かグレーっぽい物しか着てないのに我々のが派手だからじゃないのか」などみんなで言ってたのだけれど…。<br><br>後で良〜く考えてみると…ハタボノフの格好がいけなかったのかもしれない。
これじゃあおまえが愚連隊、…えっ俺のこと？]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ウランウデより乗ってきた人々</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/post_6.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.171</id>
   
   <published>2008-10-29T08:59:57Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:48:29Z</updated>
   
   <summary>シベリア鉄道のロシア号はひたすら走るのです。 そしてホントにたま〜に停まるのです...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="355 モンゴルよりの乗換駅、ウランウデより乗車した人々" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[シベリア鉄道の<strong>ロシア</strong>号はひたすら走るのです。
そしてホントにたま〜に停まるのです。
「今日は停まったっけ？そういえばどうだったっけ？一、二回は停まったんじゃない。」
なんていう感覚でした。<br><br>
現在はどうかは知りませんが…、このときはまだ旧<strong>ソ連</strong>の時代で、外国人が出入りできる都市が限られており、しかもそういう都市でも、<img alt="ramaso.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/ramaso.jpg" width="350" height="238" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>中心地から半径何キロまでしか行ってはならないとか厳しい規制がありました。<br><br>
写真を撮ってはいけないところというのもあり、
「軍事施設、あるいはそれに準ずる施設」確かこんな感じでした。
具体的には、空港・港・駅・橋などが撮影禁止の所でした。<br><br>
駅に着くと我々もときどき降りてみました。
といっても短い時間しか停まらない駅は要注意。
日本のようにホームがちゃんとしてる駅などほとんどなく
梯子を降りるように高いところにある乗車口から降ります。
注意していないと日本のように発車のベルなどなりません。
そして音も無くスーと発車してしまうのです。
<br><br>

ウランウデという駅がイルクーツクよりちょっと手前にあります。
ここでモンゴルから来る列車と合流し大勢の人が乗り換えてきます。
当時はそんな詳しいことは知りませんでした。
ただ久しぶりに停まった駅から大勢の人間が乗ってきたなあと思っただけでした。
<br><br>モンゴルのラマ僧が５．６人乗ってきました。
このときはモンゴルについての知識もほとんどなく、黄色い法衣をまとった人々が
チベット密教の流れをくむモンゴルのラマ僧であるなど思いもよらず、
映画の「ビルマの竪琴」に出てきた東南アジアの僧侶なのかと思ってしまいました。
<br><br>他にも何人か乗ってきました。一人ジーパン姿の若い女性がいました。
韓国人や中国人が日本人と似ているといっても
なんとなく違いがわかる気がするのですが、
このモンゴルの女性がオバチャノフスカヤやオーリャと話してる姿は、
私にはどう見ても日本人にしか見えませんでした。
そのままの姿で日本のどこかの大学の教室にでもいたとしても、
何の違和感もないでしょう。<br><br>
今にして思うと、このときの経験が
後にモンゴルへ行きたい気持ちを倍増させた気もします。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>カオス?!　ハオス?!　酔っぱらいと錨のマーク</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/page6.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.170</id>
   
   <published>2008-10-29T08:52:36Z</published>
   <updated>2009-03-24T15:54:02Z</updated>
   
   <summary>当時４人の中でタバコを吸っていたのは唯一ハタボノフだけでした。 車内ではコンパー...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="345 カオス?! ハオス?!酔っぱらいと錨のマークとパニマユシュ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[当時４人の中でタバコを吸っていたのは唯一ハタボノフだけでした。
車内ではコンパートメントはもちろん廊下？でも禁煙、
車両と車両の連結部分のデッキでしか吸うことができなかった。<br><br>
デッキにでる扉の横には木製のゴミ箱があり、その前には酔っぱらった初老のおじさんがいて、<img alt="pani.gif" src="http://cccp.wing-rf.net/pani.gif" width="350" height="297" border=0 align=right vspace=5 hspace=5>近くを通うろうとすると「ハオス！ハオス！」とヨロヨロしながらふたを開ける。
なんだか知らないが楽しそうである。カオスは「混沌」と言うような意味の言葉だ。<br><br>
<strong>ロシア</strong>語では「k」「h」があいまいであり、カオスがハオスになっているのかもしれない。わたしも通訳の<strong>ロシア</strong>人が呼ぶのを聞くと
「ハタボノフ」が「カタボノフ」と聞こえるのであった。
<br><br>
デッキはちょっと寒いのだけれど窓から外を見ながらタバコを吸っていると<strong>ロシア</strong>人のおじさんがやはり吸いに来た。
ソ連製の両切りのタバコなど奨めてくれたりした。
沈黙が苦しくて言葉がわからないながら身振り手振りで何かを話さねばとやってみた。
シベリアのこの平原には動物が何かいるのか、ウサギの格好をしたり手で狐のような形を作ったりしたがお互いわかってるのかわかっていないのか？？
何かがいるというのはわかってもそれが何かはわからない。<br><br>
結局また沈黙は続き、そのうちにおじさんは吸い終わって車両に戻ってしまった。
おじさんと交代するかのように、背が高くがらの悪そうな<strong>ロシア</strong>人が来た。
そしてそぶりで火を貸してくれと。百円ライターでつけてあげると「見せろ」と言うそぶり、それを見ながら感心したように今度は「くれ」というそぶり。
他にライターを持っていなかったので「困るあげられない」とこちらもそぶりで。
しばらくの沈黙。横目で良く見ると、腕に錨の入れ墨。
こいつはあんまり係わらない方がいいなと思い。
火を消しその場を退散してきたのでありました。
<br><br>
夜になって、3人のロシア人がコンパートメントに遊びに来た。
うちひとりは昼間の腕に錨の入れ墨男だった。
オーリャがロシア語で聞いたらこいつはカムチャッカの水兵らしい。
一人のやや長髪の男がトランプ遊びをしようと我々に一生懸命教えるのであった。
オバチャマノフスカヤや松沼兄弟も呼んできて
みんなでわいわいアーでもないコーでもないと
そのゲームのルールを理解しようとするのだが良くわからないのである。
<br><br>長髪の男が何度もやってみせて「パニマユシュ（わかったかというくらいの意味!?）」「パニマユシュ」と我々に言うのだがさっぱりわからんのであった。
ついにこの「パニマユシュ男」はお手上げというそぶりで去って行ったのであった。
<img alt="card.gif" src="http://cccp.a-wires.com/card.gif" width="410" height="" border=0 align=left vspace=5 hspace=5>「「パニマユシュ男」はただ単純にトランプで遊びたかったのか、それともトランプで我々からお金を巻き上げようと考えていたのか。
<br><br>松沼兄弟が、日本の大貧民とかページワンとかを教えようとしたがそんなのはつまらないというそぶりだった。「パニマユシュ男」がトランプ遊びの説明をしている間、オーリャやハヤサカ氏は水兵に何かよこせとか、チェインジしろと凄まれていたらしい。
その辺から考えるとやはり巻き上げようとしていたのかもしれない。
結局彼らは何だったのか？後々よく話題にのぼったのであった。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>シベリア鉄道の車掌</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cccp.wing-rf.net/2008/10/page5.html" />
   <id>tag:cccp.wing-rf.net,2008://9.169</id>
   
   <published>2008-10-29T08:51:20Z</published>
   <updated>2009-03-24T17:59:09Z</updated>
   
   <summary>各車 両ごとに車掌さんがいた。たぶん二交代制なのだろうか、２人で24時間体制で何...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="333大きな車掌のおばちゃんと美味しい紅茶の話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://cccp.wing-rf.net/">
      <![CDATA[<img alt="obatyan.jpg" src="http://cccp.wing-rf.net/obatyan.jpg" width="300" height="335" border=0 align=left vspace=5 hspace=5>各車 両ごとに車掌さんがいた。たぶん二交代制なのだろうか、２人で24時間体制で何があっても良いように交代で勤務していたのだと思う。<br><br>我々が乗った車両には”大きな”<strong>ロシア</strong>人のおばちゃんの車掌さんがいた。太ってるとか、体格が良いとか云うよりこの”大きな”という表現がぴったりのような気がする人だった。もう一人がどんな人だったか忘れてしまうようなインパクトだ。<br><br>朝、そのおばちゃん車掌がわれわれのコンパートメントをノックして顔を出しにこにこしながら「チャイいるか？」と聞いてくれて、ああ、もちろん<strong>ロシア</strong>語でですが、あわてて我々が「ダー・ダー」と答えるとしばらくして、取っ手のついた金属の入れ物にコップが入った”チャイカップ”に紅茶を入れて、沢山の角砂糖とともに持ってきてくれた。<br><br>あるときはジャムやチョコレートも一緒に。
この目覚めの砂糖入りのチャイは何とも言えず美味しかった。
でも…チョコレートもジャムも頭が痛くなりそうなくらい甘かった。日本では甘さ控えめ系のお菓子が主流だったのでちょっとしたショックだった。<br><br>美味しかったと云えば、車内で買って飲んだジュースもとてもうまかった。
たしか”こけもも”と”黒すぐり”だった？ような…。その後何度も<strong>ロシア</strong>に行ってるヤマチャノフスキーも、あの時のおいしいジュースには、その後はめぐり会えなかったと言ってたような気がする。<br><br>さてこの車掌のおばちゃんには、後の話に出てくるボーバもミーシャも、パニマユシュ男もハオスおじさんもたじたじなのである。
禁煙の廊下でたばこを吸ってなんかいたら、たちどころに怒られて、猫をつかむように首根っこを持たれてポイッと外へほおり出されそうな感じであるのだ。でも目は青くて、くりくりして優しいのだ。英語でなら「ビッグママ」とでも云うのだろうか。<br><br>さて彼女だけでなく<strong>ソ連</strong>では”労働婦人？”をよく目にした。空港の外貨両替カウンター。地下鉄の駅の改札を見張ってる？婦人鉄道職員。ホテルの各階ごとにいて、鍵を管理しているおばちゃん。町で見かけた眼光鋭い婦警さん？。労働婦人を沢山見かけるのは、社会主義は男女平等の思想が発達しているからなんだろかとか、国民総公務員？の国だから何て、わけわからず考えたような記憶がある。といっても日本でも働く女性はたくさんいるのだけれど。 ]]>
      
   </content>
</entry>

</feed>
